ONE PIECE 批評
111巻感想に代わり、最近のONE PIECEの変化について批評を申します。
尾田っちはやりたいことをやっている
ONE PIECEの連載が始まって27年半。22歳だった尾田栄一郎が50歳になるほどのクソ長い年月が過ぎ、けっこうな乱視に見舞われるなどするお年頃。ONE PIECEの連載もまだしばらく終わらなさそう。そんな状況に置かれた尾田っちの心境の変化がこの「ONE PIECE変わったな」に影響していると見ている。
そう尾田っちは「ONE PIECEが終わったらこれを描きたい」という将来の理想を描きつつもほんとに全然完結の目処が立たないので、もうONE PIECEで描いちゃおうの気分なのではないだろうか。
2002年、ONE PIECE BLUE GRAND DATA FILEを制作していた頃は「ONE PIECE以外のジャンルではロボマンガとか描きたいな」と思っていた男が未来島エッグヘッドで未来ロボのエピソードを作ったり、時代劇(任侠モノ?)の日本映画が好きなことでお馴染みの男がワノ国を約14巻分に渡って連載したりとしているのを見て、「ずっと描きたかったやつをもう全部描いちゃおうモードに入ったんだな……」と私は思った。
絵の変化
乱視のせいか、あるいはワノ国を演出するために筆のような表現を取り入れたのかと思っていたので何とも言えなかったが、鬼ヶ島あたりから線の揺れと粗のあるスタイルが目立っていた。急いでバババッと描いたようにも見えるこの線。尾田っちは普通に急いでいるのではないだろうか。描きたいことがいっぱいあって急いでいるのでは?
なぜ描きたいことがいっぱいあるのか。いままでのONE PIECEはハイコンテクストで難しい部分がありながらも、少年にもわかる楽しいマンガの顔をして大衆的な漫画の地位を得た。そして大衆の範囲は時が経つにつれ海外ファン、新規ファン、次の世代の少年へと広がっていった。
今のONE PIECEは「今までのONE PIECEを読んでいたけど核心部分が伝わらなかった層」「文化の違う海外勢」「今までのONE PIECEを読んでいないタイプの新規ファン」「ハイコンテクストな部分までは読み取れない少年少女世代」みたいな人たちを相手にしている状態である(無論、私も考察動画を見るまではほとんどのことに気づいていない少年少女枠であった)。
尾田っちはONE PIECEに込めるメッセージをもっとわかりやすく、多くの読者に伝わることを望んだのかもしれない。その結果どうなるかというと、セリフ、ナレーションなどの言葉による説明が増える。書くべきことが増えれば当然忙しくなるというわけだ。
大筋への意識
しかしすっかり変わってしまったというわけでもなく、尾田っちがずっとやってきたこと自体は継続されていると考えている。その一つが「キャラクターにギャップを作る」ということだ。
- ルフィは海賊なのに、いいやつ。
- チョッパーは可愛いが、頼り甲斐のある男として成長している。
- ロビンちゃんはクールな大人と思いきや、内面は好奇心旺盛で幼女のようなところがある。
- クロコダイルは冷酷な大人に見えて、若い頃に描いた海賊王の夢は未だに捨てきれていない。
- バルトロメオは田舎のチンピラでやることは最悪だが、純粋な麦わらの一味のオタク。
明らかになっていく真実の歴史も表立って進行しているが、私はこのギャップの中にも尾田っちのなんかやりたいことがあるんじゃないかなと思っている。
単純に、このギャップはワンピースに度々意外性という面白味を与えてきた。キャラクターの好感度にも影響し、読者を楽しませてきた「技」の一つではないだろうか。
いち読者として
上記はあくまで「尾田栄一郎 考察」である。あんまり実在する個人を考察するのはどうかと思うが、私は読者として転換期を迎えるにあたって「今のONE PIECEに対して思うところ」をはっきりさせておくべきだと思った。
ONE PIECEはなんらかの理由により変わった。商業漫画というより、自己表現に近いものに変化したと私の中では結論づけた。
書きたいことは書いた。